社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会

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鉄道150年記念障害福祉賞(令和5年度)

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鉄道150年記念障害福祉賞

■第一位

「ことば」を欲して

松尾 香奈

「あの、人の話を聞くときくらいイヤホン取ってもらえませんか?」
 コロナ禍第一波の春。コンビニ店員の苛立った顔は、不透明な不織布マスクを通り越し、古びたコンロの油汚れみたいに私の網膜にこびりついた。
「ごめんなさい、これ、ワイヤレスイヤホンじゃなくて補聴器なんです」
 私がそう答えると、店員は焦ったような顔をしながらペコペコ頭を下げた。
 私には生まれつきの聴覚障害があり、補聴器なしでは音声情報に手が届かない。補聴器を装用したとしても、聴者と同等レベルまで聞き取れるわけではない。雑音下、うっすらと聞こえてくる歪んだ音を頼りに音声会話をこなしていくのだ。
 今では扱いに慣れた補聴器だが、実はコロナ禍以前には積極的には使用してこなかった。
私には手話というコミュニケーションがある上、「読話」と呼ばれる口形を読み取って相手の発話内容を推測・理解することを習慣としてきたため、音声情報は不要と思っていたからだ。
 しかし、新型コロナウイルスの流行によってマスクの着用が必須となってから、私の周りからパッタリと「ことば」が消えた。これまで見えていた口元が白い布切れに隠れてしまったからだ。私は、まるで意志のない人間に囲まれた不気味な世界に連れて行かれてしまったかのような孤独を味わった。
 これはまずい。どうしたものか悩んでいると、耳鼻科医に補聴器の装用を勧められた。
「補聴器は高いし、メンテナンスも面倒だからできればつけたくないんです」
「でも現に会話に困っているわけですし、補聴器をすれば、少しはコミュニケーションのストレスも解消されるかもしれませんよ。試してみる価値はあると思います」
 補聴器をすれば幾許か「ことば」に接近できるかもしれない。あまり期待はしていなかったが、コロナ禍が始まったばかりのあの頃、私は補聴器店に足を運んだのだ。
 無事に黒色の耳穴補聴器を手に入れた私は、手話の世界と音声日本語の世界を行き来するのが習慣化した。手話の世界には手話の世界の、音声日本語の世界には音声日本語の世界の良さがあることを知っていった。
 その一方で、音声日本語の世界にいると、心ない「ことば」が耳に入ってきてしまうことも増えてしまった。
「イヤホン外せよ」
 補聴器とワイヤレスイヤホンの区別がつかない人びとには、私は他人の話を聞こうとしない無礼な人間になってしまうのだ。
 無礼な人間ではないことを証明するために、私は心ない「ことば」を浴びせられるたび、「これは補聴器なんです」と繰り返した。すると聴者は、狼狽えるような顔をして、そそくさと逃げていってしまう。
 聞こえすぎるのも難儀だなぁ。そこで私は、三年ぶりに補聴器を外して外出してみることにした。
 まちの風景は、マスクを外している人びとが増えたくらいであまり変化していないように見えたが、私には三年前とは明らかに異なる、ろう・難聴者と聴者の共生を目指した変化をコンビニのレジから感じ取った。
 レジに商品をもっていく。いつもは補聴器をしているため、音声でやりとりをしていたが、その日の私は、耳元で手を仰ぐような仕草をして耳が聞こえないことを店員に伝えた。すると、店員がうんうん、と数度頷いてから、笑顔でレジのテーブルを指差すではないか。そこには、少しだけ端の剥がれたシールが貼られている。
「袋いりません」「お箸いりません」
 指を差すだけで意思疎通ができるコミュニケーションシートが用意されるようになっていたのだ。コロナ禍以前は、レジに並ぶ前にスマホのメモ機能に「袋いりません」「レンジで温めてください」と打ったり、うまく発音できず通じないこともある音声日本語でやりとりをしたりしていた。だが、それらが不要になったことで、レジでのストレスが軽減された。
 そこには、私が欲しかった「ことば」があった。生まれて初めて、レジで地に足立ったコミュニケーションがとれた瞬間だった。店員との別れ際、「ありがとうございました」と手話で紡がれた「ことば」は、コロナ禍以前にはみられなかった共生のカケラに違いない。
 ろう・難聴者と聴者の共生を目指すとき、必ずしも補聴器や音声は必要ないのかもしれない。もちろん補聴器を使うことに反対はしないし、使用するかどうかは個人や親の選択に委ねられるが、少なくとも私には必要ないように思う。
 ろう・難聴者が補聴器や人工内耳を駆使して「聞こえる身体」になろうとするのではなく、「聞こえない身体」のまま心地よく生きていく方法があるはずだ。それは、ろう・難聴者にとってマスクがコミュニケーションの障壁になるとニュースで大々的に取り上げられたのをきっかけに、コンビニのレジがシステム・店員共に変化した点からも明らかだ。
 共生は、マイノリティ側がマジョリティ側に合わせることではなく、双方の歩み寄りによって達成されるものであってほしい。ショーケースに並ぶケーキを買うときであれば、指差しだけでじゅうぶん通じる。遊園地の乗り物にもろう・難聴者だけで乗れるし、ホテル宿泊だって困らない。予約の際に聞こえないことを伝えておけば、筆談用のメモ紙を準備してくれたり、手話のできるスタッフが対応してくれたりすることもあるからだ。ろう・難聴者の感じる不自由といえば、指差しでの注文にむっとされたり、「安全管理ができないからろう者だけでテーマパークやホテルを利用することは許可できない」と断られてしまったり、「イヤホンを外せ」と補聴器を外すよう強要されたりしたときに立ち現れるものなのだ。聞こえないこと自体は、少なくとも私にとっては困り事ではない。
 聴世界に暮らす人びととも手話で会話ができるのがベストだが、焦ってはいけない。スモールステップでいこうではないか。まずは、ろう・難聴者について知ってほしい。共生は、他者への想像力を培うところから始まるのだから。



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