社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会

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第58回 鉄道90年記念奨励賞

■第一位

「何か」のチカラ

小松崎 潤

「すごい筋肉してますね。何かスポーツでもされてたんですか」
 僕の勤める老人ホームに七十代の男性が入所した。まるでスピードスケーターのような右太腿に僕は驚嘆の声をあげずにはいられなかった。
「ここを切るまではソフトボール」
 そう言いながら見せたのは義足。僕はその瞬間「まずい」と思った。聞けば彼は五十三歳の時にユーイング肉腫と診断されていた。これは骨にできるがんの一種で、彼の場合がんはひざから足首までを支える腓骨に見つかった。切断すれば再発の可能性は低くなる。そんな期待を持って彼は切断に踏み切った。
 しかし義足では運動をすることはおろか、運動ができる場所さえないと彼は言う。確かに普段の生活を考えても義足の方を目にすることは少ない。公園やジム、市内のマラソン大会でもその姿を見かけることはない。
「カナダじゃこんなことないんだけどな」
 彼は苦笑いを浮かべた。そしてカナダに留学する娘さんに会いに行った時のことを話し始めた。
「大学のスタッフにね、障害者スポーツセンターはどこだって聞いたんだよ」
「え、ええ」
「そしたら、そんなものはないって言うんだよ」
「そういう設備が整ってないってことですか」
「バカヤロー。ちがうよ」
 彼は呆れたように語気を強めた。
「わざわざ健常者と障害者を分けるようなことはしないってことだよ」
 僕はその言葉を聞くなり恥ずかしくなってしまった。
 ふとそんなことから、いつも通うジムに
「義足でも利用できるか」と聞いてみた。受付の女性は戸惑いの表情を浮かべ、奥にいる上司に助けを求めた。どのくらい待たされたかはわからない。結局「前例がないからわからない」とのことだった。日本と諸外国の
「差」を目の当たりにした瞬間だった。
 友人から聞いた話でも諸外国との差を感じた。それはデンマークに留学したときの話だ。車椅子の彼はそこが「福祉大国」と聞いてデンマークを選んだ。しかし実際に足を運ぶと意外なことに日本の方がバリアフリーは整っていると感じたという。デンマークの街は伝統的な石畳ばかりで車椅子での移動は困難を極めた。しかし手を挙げれば周りの人が車に乗せてくれたり、車椅子を押してくれるのが当たり前だった。彼は「こんな俺でもスキューバダイビングができるんだぜ」と笑った。人を支えるのはモノでなく人。その精神は日常生活からスポーツに至るまであらゆる場面で感じられたという。
 今年はちょうど東京パラリンピックの年とあって、息子の学校でもスポーツ義足体験授業が行われた。義足の選手から実際に話が聞けると言われ、僕も参加した。しかし僕以外の保護者はPTA役員だけ。空席の目立つ保護者席を見ると何だか関心の少なさが伺えて寂しくなった。
 始業のチャイムと同時に現れた義足のYさん。開口一番、子どもたちに「私を見てどう思いますか」と投げかけた。マイクを向けられた一人の児童が「かわいそう」と答えた。その後指名された児童も「大変そう」と言う。そんな児童の声に少しだけYさんが寂しそうに見えた。
 それからYさんは左膝と義足を覆っていたサポーターを脱ぎ「触ってみる?」と児童らに膝先を向けた。彼らは表情を一気に強ばらせ、誰も手を伸ばそうとしない。ようやく一人が膝に触ると「スライムみたいにプニプニしてる」と頬を緩ませた。やっとYさんも安堵の表情を浮かべた。
 その後スポーツ義足をつけたYさんが全力疾走してみせる場面では「おおー!」という声とともに拍手が湧いた。本当に、本当に、凄かった。義足にエンジンでも付いているんじゃないかと思うくらいだった。
 義足体験では用意された義足に全員が足を通した。
「空き缶を踏み潰すように歩くこと。それと足をしっかり上げて歩くこと」
 Yさんは義足のコツを伝授した。しかしいざ実践すると「怖い!怖い!」とあちこちから悲鳴があがった。やっと進んだと思えばすぐ転んでしまい、バランスをとることすら難しい。ましてや走ったり、跳んだりだなんて。彼女たちを「スゴい」と思う反面、その裏では「スゴい努力や苦労」があると思った。
 最後の質疑応答ではいろんな質問が飛び出した。
「お風呂はどうやって入ってますか」
「スカートは履きますか」
「もし自分の足があったら何がしたいですか子どもたちは次から次に質問を投げかけた。Yさんはどの質問にも真摯に答えてくれた。しかし一つだけ、Yさんが顔をしかめる場面があった。
「足がなくて良かったことはありますか」
 これにはさすがのYさんも言葉に詰まる。しかし数秒考えたあと、はっきりとした口調で「足があったらと思うことは何度もあります。でも義足にならなかったら皆にも会えなかったし、いまの幸せはないから結果オーライです」と笑って見せた。そのうえで「義足をつけている人がメガネをかけている人のように自然で当たり前な社会になってほしい。義足でもみんなの輪の中に入りたい。だって人の間と書いて『人間』でしょ?」と言った。
 その時僕はふと職場に来た義足の男性を思い浮かべた。彼が求めたの。それは手助けなんかじゃなかった。ありのままの自分を受け入れてくれる場所だった。社会だった。ココロだった。
 パラリンピックが始まって六十年。当初に比べれば障害者スポーツの人口は緩やかに、しかし確実に増えている。パラリンピックのパワーリフティングがいい例である。この競技は当初対象が脊髄損傷の男子選手のみだった。しかし今や脳性まひやポリオ、下肢欠損にまで対象が拡大され、シドニー大会からは女子の部もできた。それは単に器具改良が理由ではない。彼らはパラリンピックという大舞台で見せてきた。障害があってもここまでできるんだって。バーベルをつかむ手は悔しさもつかんでいた。だけど偏見を握りつぶす握力になった。そしてその思いを皆がつなげた。大きくなった。それが今のバリアフリー社会を生んだ。
 先日ニュースで『パラリンピックで何が変わるか』という調査結果が公表された。その中に街中のバリアフリーの整備や、パラスポーツの認知拡大、差別や偏見の減少などが挙がった。どれも必要でどれも大切。しかしそこに正解はないし、あってはならないと思う。障害者が求めているもの。僕らが求められているもの。それはきっと人それぞれだから。
 あの体験会の最後Yさんはこう言った。
「パラリンピックを見て『何か』を感じて欲しい」
 その願い通り、今年から息子の学校では『ユニバーサルスポーツクラブ』ができた。発起人は同じ学年の男子児童。おそらく体験会のあとにユニバーサルスポーツに興味を持ったのであろう。担任の先生に懇願し、アイマスクでのブラインドサッカーやボッチャを提案したと言うからその行動力には驚くばかりである。
 また僕の街では公民館を借りて二年前から毎月ユニバーサルスポーツ教室が開催されている。パラスポーツの広報を務める主催者の発案だ。彼はこう言う。
「選手以外の障害者でも地域で集える場が必要」
 その言葉通り、練習会には幅広い世代の参加者が集まっている。三年目に突入した現在参加延べ人数は千人を越え、年に一度大きな大会を開くほどになった。
 義足のYさんを見て「かわいそう」と言っていた息子も最近はユーチューブで義足ランナーの動画を見ている。
「義足だって自分の足なんだからオリンピックでいいじゃん」
 そう言いながら最後には「やっぱりすごいなあ」と目を光らせる。そんな彼らを見て思う。決して「かわいそう」だけでは立ち止まらない力が人間にはあると。
 まもなく始まる平和の祭典パラリンピック。僕はどんな「何か」を感じるだろう。「何かやりたい」と思えたら一歩踏み出せる。「なんか大変そう」と思えたら理解がすすむ。そんな未来を変える言葉を僕らは一人一人が持っている。
 さあ、感じよう。考えよう。パラリンピックを見たあと考える「何か」のチカラを僕は信じている。



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